ペンギン先生の
「英語がよくわかる話」
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<第11回> |
By
Shuichi Motoki |
「誰が」と「何」をよく省いてしまう日本語
「誰が」と「何を」が重要で、省かない英語
: この日本語を見てみてよ。
A: どこへ行くの?
B:: ちょっとそこまで。
A:: どう、このごろどうしてる?
B:: まあ、元気でやっているよ。
どうだい。何を思う?
: 何を思うって、これは普通の日常の会話じゃないか。
: そうだね。でも話しがすべて「あいまい」だとは思わないかい?
英語だったらこうなるよ。
A:: Where are you going?
B: :I'm going over there.
A: How are you doing now?
B: Not bad. I am good.
こんな風かな。
比較するとね、英語は「誰が」を必ず言うだろ。
「どこへ行くの?」は当然誰がどこかへ行こうとしているのはわかって
いるんだから、別に言わなくても、と思うけど、英語では絶対「誰が」を
言うんだ。よく見ると日本語は主語を省略してしまっているよね。
: そうだね。「誰が」というのを英語は省かないよね。
これって、「何を」も日本語はよく省かない?「何を」って聞き返すことが
多いから日本人は簡単に「何を」を落として言ってしまっていると思う。
A: 食べる?(誰が? 何を?)
B: うん、ありがとう。 (誰が感謝するのか)
A: どうこのごろ?(何が?)
B:
まあまあ、ってとこだ。(何がまあまあなのか)
これを英語にしたらどうなるの?
: こうかな。:
A: How do you like it?
B: Thank you.
A; How are you?
B: Not bad.
: ね、この文も「誰が」と「何を」がないよね。
わかるんだね。雰囲気でね。:
: そうなんだ。これも名残だね。日本は昔村落共同体があって、周りには
人がいっぱいいて、プライベートというのなんかなくて、厳密な言葉で喋る
必要はなかったんだろうな。ところが英語の国では早くから「個人主義」が
発達した。「個人の義務も責任も権利」も発達したんだ。
日本では自分を主張することも憚れる。それが 主語を省いてしまう習慣
だよ。「何を(目的語)」を省略してしまうのは、言わなくたって、何を言って
いるのか周りのものはわかったんだろうね。英語の国は言葉をきちんと
厳密に話をして相手と話すことを余儀なくされた。それは早く共同体を捨てた
からだと思うよ。
:
英語では主語(誰は)と目的語の(何を)は絶対言わなければならない言葉
なんだね。
: そうなんだ。ここは決定的に違うところだから、よくこの違いは覚えておこう。
言葉の背景には文化や歴史があるからね。
日本語は省略は平気。英語は省略はだめだよ。
でもみんなの前で話す人って「誰が」「何を」「どうした」ははっきり言うから
話がよくわかるんだ。話し上手は「ツボを外さないこと」だ。
ところが実際の日本語の会話はツボはずしばかりで、外国人が日本人と
会って話をしたとき、そのあいまいな表現のしかたには「うんざり」したと
いうか「あきれた」のじゃないのかなあ。
: う〜ん、そうかあ。
:: 僕はバリ人のあいまいな言葉に時折「あきれる」んだけどね。
共同体の結束の固いところは以心伝心が強いのだろうね。
逆に西洋やアメリカは以心伝心ができない個人社会になり法治社会になった
んだろうね。いいかい。 英語の世界では「誰、何を」を文からはずすん
じゃないよ。
英語って、
@ だれだれは する
A
だれだれは なになにです。
B
だれだれは なになにを なになにする
C
だれだれは だれだれに なになにを なになにする
D
だれだれは なになにを(だれだれを)なになにと呼ぶ(なずける)
シンプルにこれだけが文の基本要素なんだ。それが順番に言えたり書けたら、
だいたいが話せるようになるし、書けるんだから。話す時は a
とか the とか
s とか in や at
など気にしたらだめだよ。順番に大事な単語を言えばいい
んだ。
: なるほどね。:
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